最大の収穫は、時間のしばりから解放されて、なにもしなくていい自由が手に入ることである。定年を間近に控えた人が考えることは、「会社を辞めたら、おれはなにをするかなあ」ということらしい。「なにもしなくてもいいんだ」という選択肢は最初からないようである。
どうやら多くの人は、なにかを「する」、あるいは、なにかを「しなければならない」と考えているようである。
仕事をはじめると、「する」ことだらけである。よくも毎日毎日、仕事があるもんだと嫌になるほどである。
しかもただ「できる」だけでなく、より「早く」、より「手際よく」仕事をすることが求められる。
わたしは50代後半あたりから、会社勤めがほんとうに嫌になった。退職したら、もう会社勤めは絶対にしないと決めた。金はないが、なんとかなるだろう。
一番まずいのは、「充実した人生」とか「第二の青春」とか「豊かな老後」などのマスコミ標語にあおられることである。最近はなにかというと「人生100年時代」だから、という。
ただ退職してみてはじめてわかることだが、「毎日が日曜日」というのは在職時に想像していたほどうれしいことではないのである。日曜はやはり、嫌な平日があってこその日曜日なのだ。
だからといって、なにもしない自由も退屈なもんだ、と嘆くことはない。それは贅沢というものである。しあわせというものは、いざしあわせのなかに入ってみれば、こんなものかと、「しあわせ」を実感できないのとおなじなのである。