多くの人と同じく、本研究の被験者のなかにも、晩年を迎え、来し方を振り返り、「友人にあまり会えなかった」「子どもたちに十分な注意を払ってあげられなかった」「重要でないことに時間を費やしすぎてしまった」という思いを抱く人がいた。
時間と注意はあとから補充することができない。時間と注意こそ人生そのものだ。時間と注意を相手に差し出すとき、私たちはそれらを単に「費やしたり、払ったり」しているわけではない。自分の命を相手に与えている。
人はしばしば、自分の自由になる時間について矛盾した感覚をもっている。一方では、やりたいことをする時間どころか、すべきことをする時間すら足りないという「時間不足」の感覚がある。
他方では、未来のどこかの時点で「余剰時間」を手にできるはずと考える傾向がある。いつかきっと、やるべきことに忙殺されない時期がやってくる、と考えるのだ。
過去を思い起こし、未来を予測するという認知能力があるからこそ、私たちは毎日が非常に多忙だと感じてしまう。
問題は、その日のうちに完了しなければいけないタスクの数ではなく、私たちの注意を引く物事の数が多すぎることにある。