人生の分岐点

自分の興味と、プロであること、に取り組んだら道がひらけ、やりたいことがやってこれました。

保健師さんですね。保健師になろうと思ったきっかけはなんですか?

保健師になるというより、公衆衛生の勉強がしてみたかったのです。 卒業後は看護師に戻るつもりで受験しました。 私が保健師の資格を取った頃は看護学校卒業後に保健師の専門学校に行って、国家資格を取らないといけなかったんです。

10代の頃は、自分の存在理由が分からず、自分の存在価値を探していましたね。 その悩みの中で、看護師という資格を取れば、なんか人の役に立てるかもしれないと思ったんです。 ただ、病気にあまり興味は持てなくて、むしろ生き方、人がいきいきと生きていくにはどうしたらいいんだろうという方に興味がありました。

看護師としての最初の勤務先は透析センターでした。 新人看護師のキャリアアップとして、誰も選ばないところでした。 透析センターを希望する私は相当変わり者に見えたようです。先輩看護師や教育担当者からやんわりと考え直すように言われました。私の将来を心配してくれていたのだと思います。

透析は1回4~5時間かかるもので、だからその間、患者さんといろいろな話をしました。 患者さんの身の上話やご家族のことを聞き、カルテには書かれないことを聞いていましたね。 やっぱり、人の人生そのものに興味があったからなんでしょうかね。

キャリアの中で印象に残っている思い出はありますか?

北海道の保健師学校を卒業後、新聞社で産業保健に携わることになりました。 卒業生の9割以上が行政に保健師(婦)として就職していく中、企業に勤めるのは異例でした。 「健康より原稿」と言い切って、元気に働く人(昭和のおじさん)たちに、どんなお役立ちができるのか日々悩みつつも、総務、人事、本社の先輩たちに助けられながら、健康面から個人の人生をサポートする楽しさを味わっていました。

その後もメーカーに移るのですが、工場全体の健康づくりを、社員たちで構成された健康づくり推進委員たちとチームで取り組んでいく楽しさを感じました。 今でいう職場環境改善の一部になりますかね。

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起業もされていますが、いつ頃から考えていましたか?

明確に考えていはいませんでした。 でも、いろいろな相談を日々受けている中で、私の相談料はいくら位になるんだろう? 相談者は30分、いくらなら私に払ってくれるのだろう?とふと思ったことはありました。 国家資格を持つ士業の方達は、独立してもプロとして仕事がしていける。 独立してもやっていけるのがプロだとしたら、保健師にはそれができないのだろうか、と一瞬よぎったことはありましたね。

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どういう経緯で起業することになって行ったのでしょう?

クリニックを開業しながら公衆衛生活動もするドクターと知り合い、土日に、研修会の講師を手伝ったり、市町村の保健事業のお手伝いなどをするようになりました。 そのうち、平日も土日も忙しくこのままでは体を壊すなと思うようになり、どっちかを選んだ方がいいなと思いました。 結局、ここでは土日の方を選ぶわけです。

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人生の分岐点ということになるのでしょうか?

これまでとは違うことを、余暇を使ってやることで、幅を広げ、結局広がった方に軸足を移す、ということになりました。 それが、分岐点ということでしょうかね。 後は人との出会いで、きっかけを作ってもらっていたように思います。

新しい挑戦への不安はありませんでしたか?どう整理しましたか?

それまでのお付き合いで、辞めるんだったらうちにおいで、と言ってもらえたところもありました。 組織に所属して働くことは経験できたので、組織に所属しないで仕事をすることはできないかと模索してました。 そんな時に、ある会社さんから週二回出勤すれば良いというオファーをもらいました。

3年やってダメなら、またどこかに雇ってもらおう、と軽い気持ちでした。 まだ30代だったというのもありますけど。 一大決心というより、環境に合わせ順応していくうちに自然にそうなったという方が近いかもしれません。転職というもの自体がまだ珍しい時代でしたから。

今振り返ってみてどうですか?

やりたいことしかやっていないと思います。あまり努力もしてないし・・・反省する点です。 やりたいことを、仕事にしてこれてラッキーだったと思います。 プライベートでやりたいことと同時に、「できない」と引っ張る自分がいます。 やりたいこととやれないことの綱引きの中で、これからも進んでいくんでしょうね。